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- 2012.09.26 Wednesday
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誰が何と言おうと私は椎名林檎を愛しているので、もう何を言ってもきもいし鬱陶しいだけだって分かってるんだけど、でもやっぱり言わせて。このひとがすきだ。世界とこのひとの間に保たれた距離感のことを思う。とどまるものはなにもないように、彼女と世界の間の距離は常に一定ではないのだろうけれど、いつだって冷たいくらい冷静に外から世界を扱き下ろしながらでも同時に内側から焼き尽くすような愛で心中するみたいだと思うのです。ろくでもないって分かってる男を愛するって決めた美しい女のひとのようだと思うのです。
春樹の書く女の人がすきでないのには理由があって、あんな風に透明でつかみどころのないミステリアスかつ魅力的な儚げな女なんて存在しない、あるいは男の願望の産物だと私が頑なに信じてるからだ。“大概が芝居”だし、女なんてそもそももっと生々しい生き物だ。血を流しながら素知らぬ風に生活を成り立たせるような術を産まれながらにして持っている性に備わる美しさは、もっと恐ろしい物だし、透明というよりはもっと生き生きとサイケに、逞しい。そういうものを内包しながら、美しく滑らかな肌色で身を纏い、素知らぬ風に生きるのだ。少なくとも私が指向する女の美しさは、そっちのベクトルだ。
生きていくのはあくまで意志の産物だということ。改めて。自戒。